花と音楽のある暮らし

花と音楽のある暮らし

2011年4月7日木曜日

11.04.07お花見あれこれ

11.04.07お花見

今週に入ってから気温は一気に上がり、先週は2分も咲いているかと見えた桜が、どこも一気に満開となった。



私の会社にも古木が8本あり、毎年ささやかに桜の下でお花見弁当を食べたりしてきた。
今年はこんな大災害の後だけれども、ちょっとした事情があって、4月1日の夜お花見の宴を催した。このときはまだ2分程度だったが、桜に事かけての宴会には十分で、ビールや酒のたぐいも料理も存分にあって大いに盛り上がった。


そして7日の朝
老婦人が桜の写真を撮らしてほしいと声をかけてきた。
話を聞いて驚いた。
この土地はもともと鈴木バイオリンがあったという話は聞いていたが、このおばあちゃんは鈴木バイオリンの娘さんで、少女の頃ここで暮らしていたのだ。



鈴木バイオリンには、去年の12月5日「探訪・鎌倉街道」の時に、小栗橋近くの現在の本社工場に立ち寄った。
中に入ることは出来なかったが、正面に鈴木政吉さんの銅像が据えられていて、外から写真を撮ったりしてきたものだ。

老婦人は70歳過ぎで、生まれた時からこの桜があったというから、桜は80年くらい生きているのだろう。

大府のこの場所に工場や、老婦人たちの住まいや、従業員の寮があった。
あるとき父親が野焼きをしていたら火が燃え広がり、林がすっかり燃えてしまって野原になった。
近くの農耕馬を集めてきたのか、草競馬を催したときは屋台もたくさん出て賑わった。

戦争が始まると軍人がいっぱい来るようになった。
鈴木政吉の銅像も供出しなくてはいけないので家の中に隠していた。
ついにはここに住めなくなり、恵那に疎開して工場も移した。

長女は90歳になりここまで桜を見に来るのは難しくなったので、写真をたくさん撮って見せてあげようと思う。

なんだか桜にまつわる夢物語のようで浪漫を感じた。



帰りがけに岩倉五条川へ夜桜見物に行ってみた。
7時40分頃に川原に到着すると、夜店がずらっと並んで賑わいを見せてはいたが、例年ほどではないような感じ。
スピーカーが「東北大震災を考慮して8時に消灯します」と繰り返している。
これじゃぶらぶらと歩いていくわけにもいかない。
写真を何枚か撮って、暗くなる前に帰ってきてしまった。


10日の淡墨桜は少しはほころび始めるだろうか。
5月3日の荘川桜はどんな感じだろうか。

満開の桜の下に立ってこそ、西行法師のような心境になれるだろう。

・・・願はくは花の下にて春死なむ・・・

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